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松山地方裁判所 平成2年(わ)207号 判決

主文

被告人A、同Bをそれぞれ罰金一二万円に、被告人C、同D子、同E子、同F、同G、同H子、同I子、同Jをそれぞれ罰金二万円に処する。

右被告人らにおいて、その罰金を完納することができないときは、金五〇〇〇円を一日に換算した期間、その被告人を労役場に留置する。

被告人B、同C、同D子、同E子、同F、同G、同H子、同I子、同Jからそれぞれ金五〇〇〇円を追徴する。

被告人A及び右被告人九名に対し、公職選挙法二五二条一項の規定をしない。

本件公訴事実中、被告人Aは、平成二年二月一八日施行の衆議院議員総選挙に際し愛媛県第一区から立候補する決意を有していた甲野太郎の選挙運動者であるところ、外二名と共謀の上、まだ立候補届出のない同年一月一一日午後九時一〇分ころ、松山市道後町二丁目付近を走行中の宇和島バス車内において、右甲野太郎のために投票並びに投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬として、同選挙区の選挙人である被告人H子外四〇名の被告人らに対して各現金五〇〇〇円を供与し、一面立候補届出前の選挙運動をしたとの点、被告人B、同C、同D子、同E子、同F、同G、同H子、同I子、同Jは、いずれも前記選挙に際し前記選挙区の選挙人であるところ、同日、前記宇和島バス車内において、A外二名の者から、前記甲野太郎のために投票並びに投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬として、それぞれ現金五〇〇〇円の供与を受けたとの点について、いずれも無罪。

被告人K、同L、同M、同N子、同O子、同D、同Q子、同R、同S、同T、同U子、同V子、同W子、同X、同Y、同Z子、同A’子、同B’子、同C’子、同D’、同E’子、同F’子、同G’、同H’、同I’子、同J’、同K’子、同L’、同M’、同N’子、同O’子、同P’子、同Q’子はいずれも無罪。

理由

(罪となるべき事実)

第一  被告人Aは、平成二年二月一八日施行の衆議院議員総選挙に際し愛媛県第一区から立候補した甲野太郎の選挙運動者であるが、同人が立候補する決意を有することを知り、同人に当選を得させる目的で、いまだ甲野太郎の立候補届出のない同年一月七日ころ、松山市《番地略》所在のR’方において、右甲野太郎の選挙運動者であるR’に対し、同人から同選挙区内の他の選挙人に供与すべき投票買収資金として、現金五万円を交付し、一面立候補届出前の選挙運動をした

第二  被告人Bは、前記選挙に際し、同選挙区の選挙人であり、かつ甲野太郎の選挙運動者で、甲野太郎が同選挙区から立候補する決意を有することを知つていたものであるが

一  同月八日ころ、同市《番地略》所在の株式会社乙山鉄工所付近路上に駐車中の普通貨物自動車内において、右甲野太郎の選挙運動者であるR’から、右甲野太郎に当選を得させる目的で、同人のため投票並びに投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬として供与されるものであることを知りながら、現金五〇〇〇円の供与を受けた

二  右R’と共謀の上、右甲野太郎に当選を得させる目的で、

1 いまだ同人の立候補届出のない同月一一日、同市《番地略》所在のS’子方付近路上において、前記選挙に際し、同選挙区の選挙人であるC、同D子、同E子、同Fに、いずれも右甲野太郎のため投票並びに投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬として、それぞれ現金五〇〇〇円を供与し、一面立候補届出前の選挙運動をした

2 同日、同市《番地略》所在のG方において、同選挙区の選挙人であるG及び同人を介して同H子に、右甲野太郎のため投票並びに投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬として、それぞれ現金五〇〇〇円を供与し、一面立候補届出前の選挙運動をした

3 同月一二日、同市《番地略》所在のI子方において、E子を介して同選挙区の選挙人であるI子に、右甲野太郎のため投票並びに投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬として、現金五〇〇〇円を供与し、一面立候補届出前の選挙運動をした

4 同日、同市《番地略》所在のJ方において、Fを介して同選挙区の選挙人であるJに、右甲野太郎のため投票並びに投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬として、現金五〇〇〇円を供与し、一面立候補届出前の選挙運動をした

第三  一 被告人C、同D子、同E子、同Fは、いずれも前記選挙に際し、同選挙区の選挙人であり、甲野太郎が同選挙区から立候補する決意を有することを知つていたものであるが、同月一一日、同市《番地略》所在のS’子方付近路上において、いずれも、右甲野太郎の選挙運動者であるBから、右甲野太郎に当選を得させる目的で、同人のため投票並びに投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬として供与されるものであることを知りながら、それぞれ現金五〇〇〇円の供与を受けた

二 被告人G、H子は、いずれも前記選挙に際し、同選挙区の選挙人であり、甲野太郎が同選挙区から立候補する決意を有することを知つていたものであるが、同日、同市《番地略》所在の自宅において、なお被告人H子はGを介し、いずれも、右Bから、右甲野太郎に当選を得させる目的で、同人のため投票並びに投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬として供与されるものであることを知りながら、それぞれ現金五〇〇〇円の供与を受けた

三 被告人I子は、前記選挙に際し、同選挙区の選挙人であり、甲野太郎が同選挙区から立候補する決意を有することを知つていたものであるが、同月一二日、同市《番地略》所在の自宅において、E子を介し、右Bから、右甲野太郎に当選を得させる目的で、同人のため投票並びに投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬として供与されるものであることを知りながら、現金五〇〇〇円の供与を受けた

四 被告人Jは、前記選挙に際し、同選挙区の選挙人であり、甲野太郎が同選挙区から立候補する決意を有することを知つていたものであるが、同日、同市《番地略》所在の自宅において、Fを介し、右Bから、右甲野太郎に当選を得させる目的で、同人のため投票並びに投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬として供与されるものであることを知りながら、現金五〇〇〇円の供与を受けた

ものである。

(証拠の標目)《略》

(法令の適用)

被告人Aの判示所為中現金を交付したとの点は公職選挙法二二一条一項五号(同条同項一号)に、なお行為時においては平成三年法律第三一号(以下「改正法」と略称する。)による改正前の罰金等臨時措置法二条一項に、裁判時においては右改正後の刑法一五条に各該当し、被告人Bの判示第二の二の各所為中現金を供与したとの点は、公職選挙法二二一条一項一号、刑法六〇条に、なお行為時においては改正法による改正前の罰金等臨時措置法二条一項に、裁判時においては右改正後の刑法一五条に各該当し、被告人Aの判示所為及び同Bの判示第二の二の各所為中それぞれ立候補届出前の選挙運動をしたとの点は、いずれも公職選挙法一二九条、二三九条一項一号(被告人Bについては更に刑法六〇条)に、なお行為時においては改正法による改正前の罰金等臨時措置法二条一項に、裁判時においては右改正後の刑法一五条に各該当するが、右は犯罪後に刑の変更があつた場合に当たるから、刑法六条、一〇条によりいずれも軽い行為時法の刑によることとし、なお被告人Aの判示所為及び同Bの判示第二の二の各所為はいずれも一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、同法五四条一項前段、一〇条によりいずれも一罪として被告人Aについては重い現金交付の罪の刑で、被告人Bについては重い現金供与の各罪の刑で各処断することとし、被告人Bの判示第二の一の所為及び判示第三の被告人C、同D子、同E子、同F、同G、同H子、同I子、同Jの各所為はいずれも公職選挙法二二一条一項四号(同条同項一号)に、なお行為時においては改正法による改正前の罰金等臨時措置法二条一項に、裁判時においては右改正後の刑法一五条に各該当するが、右は犯罪後に刑の変更があつた場合に当たるから、いずれも刑法六条、一〇条により軽い行為時法の刑によることとし、所定刑中いずれも罰金刑を選択し、その所定金額の範囲内で、なお被告人Bの判示各罪は同法四五条前段の併合罪なので、同法四八条二項により各罪所定の罰金の合算額の範囲内で、被告人A、同Bをそれぞれ罰金一二万円に処し、被告人C、同D子、同E子、同F、同G、同H子、同I子、同Jをそれぞれ罰金二万円に処し、右被告人らにおいて、右罰金を完納できない時は、同法一八条により金五〇〇〇円を一日に換算した期間、その被告人を労役場に留置することとし、被告人B、同C、同D子、同E子、同F、同G、同H子、同I子、同Jにおいて収受した各現金五〇〇〇円は、いずれも既に消費して没収することができないので、公職選挙法二二四条後段によりその価額をその被告人から追徴することとし、被告人A、同B、同C、同D子、同E子、同F、同G、同H子、同I子、同Jに対して、本件が比較的小額の現金の交付、供与、受供与等の事案であること、後記の無罪とする事件の審理に長期間を経ているところ、その間に判示事実についての裁判が確定する高度の蓋然性があり、恩赦により復権されていたと考えられるのに(平成二年一一月一二日・政令第三二八号復権令参照)、その機会を得られなかつたこと等の事情、右復権令の趣旨、公平の見地等に鑑み、なお公職選挙法二五二条四項の規定を類推して、同法同条一項の規定を適用しないこととし、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して、右被告人らに負担させないこととする。

(無罪とした公訴事実の要旨)

第一  被告人A、同K、同Lは、平成二年二月一八日施行の衆議院議員総選挙に際し、愛媛県第一区から立候補した甲野太郎の選挙運動者であるが、同人が立候補する決意を有することを知り、同人に当選を得させる目的で、共謀の上、いまだ同人の立候補届出のない同年一月一一日午後九時一〇分ころ、松山市道後町二丁目付近を走行中の宇和島バス車内において、別紙一覧表記載のとおり、同選挙区の選挙人であるH子外四〇名に対し、右甲野太郎のための投票並びに投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬として、それぞれ各現金五〇〇〇円を供与し、一面立候補届出前の選挙運動をした

第二  被告人A、同K、同Lを除くその他の被告人らは、いずれも、前記選挙に際し、同選挙区の選挙人であり、甲野太郎が立候補する決意を有することを知つていたものであるが、同日同時刻ころ、前記宇和島バス車内において、右甲野太郎の選挙運動者A、同K、同Lから、右甲野太郎に当選を得させる目的で、同人のため投票及び投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬として供与されるものであることを知りながら、それぞれ現金五〇〇〇円の供与を受けた

ものであるというのである。

(無罪とする理由)

一  本件事案の概要等

平成二年一月一一日、松山市内にある愛媛県民文化会館において、同年二月一八日施行の衆議院議員総選挙に際し、愛媛県第一区から立候補する決意を有していた甲野太郎の決起集会又は同人を励ます会(以下、「励ます会」という。)が開催され、被告人らは励ます会に出席した後、励ます会の主催者側が準備していた宇和島バス(和気三七号車。以下、「宇和島バス」という。)に乗つて被告人らの住居地の和気方面へ帰る途中で右バスが同市道後町二丁目付近を走行中、被告人A、同K(以下、「被告人K」という。)、同L(以下、「被告人L」という。)らが、公訴事実の要旨第一記載のとおり、他の被告人らに対して、甲野太郎のために投票等をすることの報酬として現金五〇〇〇円が入つた封筒を配つて現金を供与し、当時右バスに乗つていた被告人A、同K、同Lら三名の被告人を除く四一名の他の被告人ら全員は、公訴事実の要旨第二記載のとおり、右現金の供与を受けたとして公訴提起されたのが本件である。

しかるところ、検察官は、後記のT’子の供述する方法で本件犯行は敢行されたものである旨、被告人Kに容貌等が類似した後記のU’が、宇和島バスに乗つていたか否かは本件の成否に関係がなく、同人が宇和島バスに乗つていたとするのも、被告人らの捜査撹乱の疑いがある旨、捜査官において、宇和島バスの世話人であつた者について被告人KとU’とを間違えて、捜査を開始、進展させたことはない旨、被告人らの自白は任意になされたものであり、右自白に不自然、不合理な点はなく、それは信用できるものであり、被告人ら関係者の公判段階における供述は、被告人らの罪責を不当に免れさせようとするものでしかない旨、なお被告人らの捜査段階における供述が変転する等したのは、関係者による罪証湮滅行為があつたためである旨主張する。

他方、被告人らは公判段階においては全員起訴事実を否認しているが、捜査段階においては、被告人らのうち二名の者は、終始起訴事実を否認して通し、他の四二名の者のうち、若干の者は捜査段階の当初以来起訴事実を認めているが、その他の大部分の者は、捜査段階の当初においては一応或いは頑強に犯行を否認していたが、結局警察官に対して、起訴事実を認めているものである。

そして、右自白の概要について見ると、宇和島バス車内で現金の授受があつたことを捜査官に対して自供した被告人らのほぼ全員は、被告人A、同K、同Lが、右バス車内で励ます会の世話人として行動していた旨、励ます会が終わつて帰途についた右バス車内で、まず被告人Lが挨拶をし、続いて被告人Kが挨拶をしたが、その挨拶の文言の中に「ビールでも飲んで下さい。」「これはゴミではありません。捨てないで下さい。」などと言う言葉があつた旨、そして、封筒がバスの前部の座席から順送りに後部の座席まで渡され、全員その封筒を受け取つて、家に持ち帰つたが、右封筒内には、ポスター、名刺などと共に現金五〇〇〇円が入つていた旨述べている。

なお、被告人らの者のうちの大部分は、前記のとおり、当初は、捜査官に対して、被告人Kが宇和島バスに乗つていたことを否定し、かつ封筒は貰つたが現金は入つていなかつた旨供述していたところ、警察官から度々呼び出しを受けて取調べられ、一部の者は身柄を拘束されるなどし、その後殆どの者が自供に転じたことが関係証拠により認められるのであるが、犯行を自供した被告人らが、これを否認していた理由として捜査官に対して述べているところは、被告人K夫妻から、「バスには乗つていなかつたのに、誰が警察にわしが乗つていたと言つたんだ。」などと言つて怒鳴られたり、甲野太郎の後援会関係者などから、被告人Kは宇和島バスに乗つていなかつたこととし、封筒に現金は入つていなかつたこととするよう指示されたからであるというのである。

なおまた、被告人Aは、予め現金を封筒に入れて、配付する準備をし、宇和島バス車内で被告人K、同Lに配らせた旨検察官に供述し、被告人K、同Lも右被告人Aの供述に符合するような供述を捜査官にしているが、当初は、右三名共、犯行を否認し、被告人Kは、宇和島バスに乗つていなかつたとして、アリバイ主張をしたりしていたものである。

そして、弁護人は、右現金の授受を認めた被告人らの捜査段階の供述は、捜査官の強圧的な取調べと、被告人らにおいて逮捕、勾留されることの恐怖感等によりなされたもので、任意性のないものであり、かつ、被告人らの意に反してなされた虚偽の供述であつて、信用性もなく、真実は、被告人Kは宇和島バスに乗つておらず、被告人A、被告人K、同Lが右バス車内で現金を供与したことはない旨、捜査官は被告人KとU’とを取違えているのであつて、被告人Kは宇和島バスに乗車していなかつた旨、その他の被告人ら全員も、被告人Kを含む誰からも現金の供与を受けたことはない旨主張し、被告人らも、公判段階では、全員が、右公訴事実を否認し、かつ、捜査段階の供述は、捜査官の強圧的な取調べに耐えかねてなされた虚偽のものであつて、被告人Kは宇和島バスに乗つておらず宇和島バス内で現金の授受はなかつた旨供述をしている。

したがつて、本件は、被告人Kが宇和島バスに乗つていたと認定できるか否か、前記四二名の者の捜査官に対する自白が任意になされたものか否か及び右自白が信用できるものであるか否かにより決せられるものである。

そこで、以下、まず被告人Kが、真実宇和島バスに乗つていて、本件に関与しているか否かの点から、検討することとする。

二  被告人Kの行動に関する証拠について

1  被告人Kが宇和島バスに乗つていたと捜査官が考えるに至つた経緯について

関係証拠によれば、次の事実を認めることができる。

松山東警察署の警察官は、励ます会の後、宇和島バス内で、選挙に関する現金供与がなされたとの情報を得て捜査に着手し、宇和島バスのバスガイドのT’子から、バス車内の状況について事情聴取したところ、励ます会の帰途に、バス車内で、「帰つてビールでも飲んで下さい。」「これはゴミではありませんから捨てないで下さい。」などと言う挨拶がされ、封筒が全員に渡されたとの供述を得たことから、宇和島バス車内で現金の供与があつたのはほぼ間違いないとの心証を持ち、更にT’子に対して、被告人Kの写真を含む写真を示して事情聴取したところ、被告人A、同K、同Lら三名の者が宇和島バス車内の励ます会側の世話人であり、バス車内で「帰つてビールでも飲んで下さい。」などとの挨拶をしたのは被告人Kであると見られるとの供述を得て、これらの者が宇和島バス車内で現金を供与した者であると判断し、更に宇和島バスに乗つていた関係者から、バス車内の事情の聴取したところ、被告人Cが、バス車内で現金五〇〇〇円を貰つた旨述べたので、バス車内で、選挙に関して、現金供与があつたことは間違いないと判断し、他の関係者らから事情聴取をするなど、捜査を開始した。

すなわち、捜査官において、被告人Kが宇和島バスに乗つていて、本件犯行を敢行したと考えるに至つた端緒は、バスガイドT’子から右供述を得たことによるものと認められる。

2  T’子の供述の概要等について

しかるところ、T’子の検察官に対する供述調書(以下、関係者の検察官に対する供述調書は、関係者の「検面」と、関係者の司法警察員に対する供述調書は関係者の「員面」と略称する。)及び公判調書中の証人T’子の供述部分(以下、関係者の公判廷における供述及び公判調書中の供述部分を関係者の「公判供述」と略称する。)によれば、T’子は、「バスが和気町二丁目バス停留所の所に停まつていたところ、午後六時過ぎころに、被告人Kと思われる者から朝汐公民館の所へ移動するように頼まれた。同人は朝汐公民館前からバスに乗り込み、午後六時半ころバスは同所を出発した。帰途、乗客全員を送つた後、最後に残つたのは、被告人Kと同Lであり、二人は西堀端で下車した。」旨を述べる(以下、これを「T’子供述」という。)。

なお、宇和島バスの運転手V’の検面及び公判供述によれば、同人は、「マイクで挨拶した人が最初にバスに乗つた。最後に残つた人は、その人ともう一人の世話人であり、二人は西堀端で下車した。」という趣旨の供述をしているところ、被告人らの検面等によれば、宇和島バスで世話人をしていた者は、被告人A、同K、同Lであるというのであり、被告人Aは帰途に円明寺前で下車したことが関係証拠により認められるから、V’の検面及び公判供述、被告人らの検面によれば、西堀端で下車したのは、被告人K及び被告人Lの二名となる。

なおまた、被告人Lの検面等によれば、同人は「Kは朝汐公民館前から一緒にバスに乗つた。最後は、Kと二人で西堀端で下車した。」旨述べているから、結局、被告人Kが宇和島バスに乗車、下車した場所については、T’子、V’、被告人Lの三名は、以上の限度で、ほぼ一致した供述をしていることとなる。

しかし、前記の事情で、捜査官においては、まずT’子から被告人Kの乗車、下車場所を認知したのであり、V’の供述は漠然としたものであり、被告人Lの供述については、後記のとおり捜査官の取調べに押し付けなどの問題があつた余地なども認められるから、まず、T’子供述の信用性について検討することとする。

3  T’子供述の信用性について

(一) 被告人KはT’子供述どおりに乗車できるか

(1) 宇和島バスの走行経路及びその時間関係

宇和島バス運転手のV’の検面及び公判供述、証人W’の公判供述、宇和島バスのタコグラフ(弁護人請求証拠番号一八等)その他の関係証拠によれば、宇和島バスは、当日午後五時一五分ころに和気町二丁目バス停留所に到着し、午後六時一一分ころ、世話人から頼まれ朝汐公民館前に移動して、同所を午後六時三九分ころ発車し、午後六時四一分過ぎころ長淵橋に至り、同所を午後六時四二分過ぎころ発車して、昭和橋バス停、円明寺前を経て、励ます会の会場に向かつたが、途中交通渋滞に巻き込まれ、励ます会の開会予定の午後七時に遅れて午後七時五一分ころに同会場に到着した。なお、帰途は、往路とは大部分違うコースを取つて、和気橋、長淵橋、よしの橋、太山寺団地前、円明寺付近に至り、更に西堀端を経て、宇和島バス営業所に帰つたことが認められる。

そこで、被告人KがT’子供述のとおり宇和島バスに乗車、下車したか否かについて検討する。

(2) 被告人Kの当日の行動及び朝汐公民館前からの乗車の可能性について

被告人Kの検面によれば、被告人Kは、当日午前九時半ころに松山市大手町一丁目所在の仕事先の株式会社丙川商会松山出張所を出発して、広見町、八幡浜市、大洲市、重信町等で仕事をし、午後五時半ころに丙川商会松山出張所に帰り、間もなく同所を出て急ぎ帰宅し、長淵橋から宇和島バスに乗つて、励ます会に出席し、帰りの宇和島バスで本件犯行に及んだ旨述べている。

そして、被告人K、X’及びY’の各検面によれば、被告人Kは、X’と重信町のNTTグランドのボイラー修理の仕事を午後四時三〇分ころからして、四〇分ないし四〇分余りを要した旨、重信町の現場から丙川商会松山出張所までの所要時間は三〇分程度である旨、そしてX’は、事務所(丙川商会松山出張所)に帰つて間もなく被告人Kが帰り、X’も少しの間同事務所にいて帰つた旨、Y’は、当日被告人K及びX’の重信町での仕事は午後五時ころには終わつている旨、それぞれ供述していることが認められる。

しかしながら、Y’の公判供述によれば、Y’において、被告人K及びX’の重信町での仕事が午後五時ころに終わつたとするのは、被告人K及びX’の仕事である風呂のボイラーの修理の結果、当日午後六時ころに風呂が使用可能になつたからだというものであるところ、捜査官がY’から事情聴取したのは相当期間経過後であるうえ、当日午後六時ころに風呂が使用できたというのは、Y’の経験した事実ではないこと、被告人K、証人X’の公判供述その他の関係証拠によれば、当日実際には午後五時一〇分ころに風呂のボイラーの修理が終わつた可能性が強いものと認められるのに、Y’は、午後五時ころに風呂のボイラーの修理が終わつたことを前提としていること、なおY’が使用人としているNTTグランドの寮母は、風呂を沸かすのに要する時間は一時間であるとしているとのことであるが、これは大概のものにすぎないと認められるのに、Y’は、これを確定的なものとして供述していることなどから、Y’の前記供述の信用性については疑問がある。

これに対し、X’の当日のタイムカード(弁護人請求証拠番号六)が、午後六時一七分に丙川商会松山出張所からの退社になつていることは動かし難い事実であるところ、X’は、当日、被告人Kが特に急いで帰つたというような記憶をしていないうえ、X’自身は事務所に帰つて、留守番電話の確認、着替え等をした程度の記憶しかないこと、法廷で、被告人Kが事務所に上がつて、ちよつと話などをしたから、被告人Kが丙川商会松山出張所から出たのは、X’が退社した午後六時一七分より五分くらい前ではないかと思う旨供述し、なお、「被告人Kが事務所に帰つて、間もなく帰つた。」とした検面の記載は、「被告人Kの帰宅した時間は、X’が帰る五分位前である。」旨を検察官に言つたところ、その時間の正確性について検察官と意見が齟齬し、「被告人Kの帰宅時間についてのX’の記憶が、客観的に正確とは言えないのではないか。」との旨言われ、「調書に時間は書かない。」と言うことで、前記検面の記載とすることを検察官に対して承諾した旨供述していること、なお、X’の員面でも、「当日、被告人Kと丙川商会松山出張所に帰つたのは午後六時ころと思う。被告人Kが帰つたのは午後六時ころと思う。」としながら、同じ員面(検察官請求証拠番号五四〇)中で、「被告人KはX’が事務所から帰つた午後六時一七分より少し前に帰つたと思われる。」旨供述していることなどを総合すると、被告人Kが、当日丙川商会松山出張所から帰つたのは、早くて午後六時ころ、遅くて午後六時一二分ころであつたとするのを否定する見解は取り難いと考える。

そして、司法警察員作成の平成二年三月一二日付捜査報告書(検察官請求番号一三)によると、丙川商会松山出張所から被告人K宅までの帰途に要する時間は、平成二年三月一二日午後五時四〇分に丙川商会松山出張所前から自動車を発車させ、交通法令を遵守して自動車を走行させると午後六時三分に被告人K方へ到着したから、その所要時間は二三分であるとされるところ、これに後記の弁護人作成の走行実験の結果を総合考慮すれば、被告人Kが、制限速度を超過して急いで帰宅した場合の所要時間の誤差を考慮に入れたとしても、前記のとおり午後六時ないし午後六時一二分ころに被告人Kが丙川商会松山出張所から帰途についたこと、帰宅し着替え等をして長淵橋まで出掛けるのに更に一〇分間程度を要することから、午後六時に朝汐公民館前から発車する予定であつた宇和島バスに乗車することや、午後六時一一分ころに、バスの発車予定時間に若干遅れた場合に通常辿るであろう経路で長淵橋より遠い和気町二丁目バス停留所に至り、同所から移動する宇和島バスを誘導することは不可能であつたと認められる。なお右結論は、仮に被告人Kが午後六時を過ぎて帰途についたことを前提とせず、捜査報告書記載の午後五時四〇分ころに丙川商会松山出張所前から自動車を発車させたことを前提としても、変わらないと考えられる。

もつとも、宇和島バスが発車する時間は、当初は長淵橋から当日午後六時ころ出発するとされていたが、後に午後六時三〇分ころの予定と変更され(被告人P、同V子、同Y、同D’、同R、同U子、同A’子、同B’子の各検面〈検察官請求証拠番号八四、九二、一〇二、一〇五、一一一、一八〇、一八二、一八四〉及び証人Z’子の公判供述等参照。なお、関係証拠によれば、朝汐公民館前は、これより二分位前の出発となる。)、実際には更にそれよりも遅れて、朝汐公民館前からは午後六時三九分ころに発車したことが認められるのであるが、被告人Kには、バスの右発車時間の変更が知らされた形跡がなく、被告人K自身、これを知つていた形跡もないから、宇和島バスの発車予定時間より相当に遅れて帰宅した被告人Kが、朝汐公民館前へ出掛けるということは考えられないし、更に、前記のとおり和気町二丁目バス停留所から宇和島バスを誘導することが不可能であつたことにも変わりはないと考える。

なお、朝汐公民館前からは、被告人Kとは近親関係にある被告人B夫婦、同G夫婦が乗車したこと、しかも同所での乗車人員は一〇名程度の少人数であつたことから、被告人Kが世話人として和気町二丁目バス停留所ないしは朝汐公民館前から乗車したのであれば、これらの者が当然気付いているはずであるのに、そのような事実も証拠上存在しない。

したがつて、被告人Kが朝汐公民館前から乗車したとするT’子供述及びこれに沿う前記各証拠は、以上の点に鑑み採用できない。

(3) 被告人Kが長淵橋から乗車した可能性について

ところで、前記のとおり、被告人Kの検面によれば、同人は、「長淵橋からバスに乗つた。」と述べているので、この点について便宜ここで検討する。

なお、被告人Pの検面によれば、「Kは、長淵橋でバスを待つていた。長淵橋は北浜地区から遠いのに、北浜地区のKが一人だけ長淵橋から乗るのはおかしいと思つた。」旨供述しているのであり、被告人B、同D子、同H子も、被告人Kが長淵橋から宇和島バスに乗つた旨、捜査官に対して供述している。

しかるところ、被告人Kの員面(検察官請求証拠番号三八一)によれば、丙川商会松山出張所からの帰途、長淵橋を通りかかつたところ、既に宇和島バスが停まつていたので、慌てて車を自宅南側駐車場に停め、着替えて、家から長淵橋まで走つて行つて四、五分でつき、午後六時二、三十分ころにはバスの所まで行つたと言うのであるが、これは、前記の宇和島バスの長淵橋への到着、同所からの発車の各時間と明らかに齟齬するから、信用できない。

もつとも、被告人Kは、検面では、長淵橋で二、三人の人がバス待ちしていた、それで着替え等をして家から歩いて長淵橋まで行つた旨その供述を変更しているのであるが(検察官請求証拠番号六五、二三一)、関係証拠によれば、長淵橋で二、三人の人がバス待ちしていた時間というのは午後六時過ぎころになるのではないかと推認されるところ、この点は、前記捜査報告書の記載とほぼ符合する。しかし、右捜査報告書記載の丙川商会松山出張所からの発車時間は、被告人Kの丙川商会松山出張所から自宅等への帰宅のための発車時間についての他の証拠と齟齬することとなるし、前記のとおり、宇和島バスの発車時間が遅れたことを知らされていなかつたものと認められる被告人Kが、その認識している宇和島バスの発車時間を相当に過ぎた段階で、特に急ぐことなく、歩いて長淵橋まで行つたというのは不自然である。

また、宇和島バス内の世話人をすることが予定されていたという被告人Kが、宇和島バスの最初の発車場所である朝汐公民館前からではなく、長淵橋から乗車したというのは不自然であり、仮に何らかの理由で長淵橋から乗るのやむなきに至つたのであれば、既に世話人として乗車していた被告人Lとの間で、何らかのやりとり等があつてよい筈であるのに、T’子供述をはじめとする関係証拠には、そのような事実があつたことは語られていない。

しかも、被告人Kは、長淵橋から乗つた経緯を前記のとおり転々とさせ、更に、右のとおり員面を検面で変更しながら、その供述変更の理由を検察官に対して述べていない。このことは、捜査官において、当初宇和島バスが長淵橋に午後六時二、三十分ころに到着したものと認定して捜査を進め、その後の捜査の進展により、その時間帯には宇和島バスは長淵橋に来ていないものと認定されたため、この捜査官の認定の違いを被告人Kの供述の変更として糊塗し、検面に録取した結果ではないかとの疑いを抱かせるものである。

そして、弁護人において、平成三年二月一四日から同年五月一六日までの木曜日(本件犯行があつたとされる日と同じ曜日)の午後六時一二分に丙川商会松山出張所前から自動車を発車させて被告人K方駐車場まで五回の走行実験等をした結果(弁護人請求証拠番号三六)によると、到着時刻は早くて午後六時三三分過ぎ、遅くて六時四六分過ぎであつて、平均すると約二七分一五秒間を要したこと、更に被告人Kが自宅に帰つて着替えをし、長淵橋まで出掛けるのに一〇分間程度を要したことから考えて、被告人Kが当日午後六時ないし午後六時一二分ころに丙川商会松山出張所前から出発したことを前提とし、帰宅して、更に着替え等をして長淵橋に出掛ける時間を加算すると、午後六時四二分過ぎころ長淵橋から発車した宇和島バスに、被告人Kが乗車することは不可能ないしは極めて困難なことになると認められる。

そして、検察官の主張するが如く、被告人Kが、宇和島バス内で、世話人として積極的に活動していたとすることは、被告人Kが、このような行動をすべく予定されていたと推認することもできるところ、前記のように、宇和島バスの発車時間の変更が被告人Kに知らされた形跡がないから、同被告人が、宇和島バスの発車予定時間を過ぎて帰宅したと認められることや、変更された宇和島バスの発車予定時間を前提としても、右バスに乗れるかどうか分からないような時間に帰宅していることには、理解し難い不自然さが残ると思われる。

なお、被告人Kが長淵橋から宇和島バスに乗車したとする被告人P、同B、同D子、同H子の捜査官に対する供述が信用できないのは後記のとおりである。

(二) 被告人KはT’子供述どおりに下車しているか

被告人K、同L、証人Z’子、同A’’、同B’’の各公判供述、弁護人提出の「ナイトパブ丁原」の伝票等や(弁護人請求証拠番号二二等。なお「ナイトパブ丁原」の帳簿には、他の記載と異なり、当日の和気地区の来客全員の名前が記載されているが、「ナイトパブ丁原」で飲酒したこれらの者の責任者が明らかでなく、かつ来客全員の名前を経営者のA’’が知つていたものと認められるから、右のような帳簿の記載が特に不自然であるとは考えられない。)その他の関係証拠によれば、当日宇和島バスで西堀端まで行き、同所で下車したのは、被告人Lと同H’の二名であつたと認められる。H’が他の場所で下車したとするJ’らの検面等は右認定に照らし採用できない。そして、T’子供述は、被告人Kと同H’とを取違えているものと認められるから、T’子供述及びこれに沿う証拠は信用できない。

なお付言すると、被告人Kの検面によれば、同人は、後に、「長淵橋辺りでバスから下車した。」とその供述を変更している。

しかし、被告人Kは、宇和島バス内で積極的に活動した励ます会の世話人であるとされているのに、励ます会への出席者の殆どがまだ下車しておらず、宇和島バスの当日の終点でもなく、しかも合理的な理由も認められないのに自宅から最も近い停車場所でもない長淵橋辺りで、被告人Kが宇和島バスから下車したというのは不自然である。そのうえ、長淵橋では相当数の者が下車したと認められるのに、被告人Kが長淵橋で下車した後の行動については勿論、被告人Kが同所で下車したことさえ、誰も述べていない。

そもそも、被告人Kが、宇和島バスへどこから乗り、どこで下車したかということは、極めて単純な事柄であつて、T’子の場合には、近くからであるとはいえ薄暗いバスの車内灯等により見たに過ぎないためなどの理由から、見間違え等して、結果的には虚偽の供述をしたものであるとしても、被告人K自身のみならず、当日行動を共にしたとされる被告人Lまでが、確実なものと認められる証拠と異なる供述をしたり、供述を変転させている(検察官請求証拠番号三九三の員面参照)ことは理解し難いことであり、これは、捜査官において、T’子供述から被告人Lが宇和島バスに乗つていたのは間違いない事実であると前提し、また、捜査官において、T’子供述に従い、被告人Kの乗車場所として朝汐公民館前を、下車場所については西堀端を考えていたのに、いずれも証拠上否定されざるを得なくなつたことから、長淵橋以外には被告人Kの乗車、下車場所が考えられないこととなり、捜査官がこの観点から被告人らを追及した結果ではないかとも考えられる。

(三) 座席の関係で被告人Kが宇和島バスに乗車できるか

(1) T’子の公判供述によれば、同人は、乗客数確認用紙の残枚数を確認した結果、行きのバスの乗客数は四〇名程度の奇数であり、世話人から聞いた帰りの宇和島バスに新たに乗車することになつた人数、乗車しないことになつた人数等から、帰途のバスは行きのバスよりも乗客が三名増えていたなどと述べていること、右供述は一応確実な根拠のあるものであり、特に不自然、不合理な点は見当たらないことから信用できるものと認められるところ、右供述その他の関係証拠を総合すれば、励ます会からの帰途の宇和島バスの乗客は四四名であつたと認められる。

なお、T’子の公判供述によれば、同人は、励ます会の帰途の宇和島バスに乗客四五名が乗つていたのを確認した旨供述しているが、しかしこれは、T’子の前記公判供述及び次記の同人の検面と齟齬するのみならず、確実な根拠に基づいて述べているものとは見られないから、信用できない。

また、T’子は、検面で、励ます会の帰途の宇和島バスの乗客は四三名であつたと述べ、I子、E子は、員面で、同人らも帰途の宇和島バスでバスガイドが人数を確認して「四三名で全員いる。」旨報告したのを記憶している旨供述し、E子は検面で、帰りの宇和島バスには、乗客四三名に運転手、バスガイドを併せて四五名が乗つていたと供述している。しかし、右T’子らの捜査官に対する供述は、前記T’子の公判供述及び現に少なくとも四四名が励ます会からの帰途の宇和島バスに乗つていたとする関係証拠と齟齬し、採用できないものである。

なおまた、被告人らの捜査官に対する供述調書に基づき、被告人らの宇和島バス内での着席状況を仔細に検討すると、乗客が着席していたのを見たと誰も指示しない空席が少なくとも一席残るから、これもT’子の公判供述から認定できる事実を補強すると考えられる。

もつとも、被告人Aの検面によれば、同人は帰りの宇和島バスで補助席に座つたと供述しているが、被告人Aの着席していた座席を具体的に指示する者もいることなどから、右被告人Aの検面中の右供述は一時的に同被告人が補助席に座つたことを言つているのみであると考えられる。したがつて、右被告人Aの検面の記載は前記認定を左右するものではない。

(2) 証人U’の公判供述によれば、U’は、甲野太郎後援会の和気地区の青年部の役員をしていた関係で、被告人Lと二人で宇和島バス車内の世話人役を務め、宇和島バスを示すプラカードを持つて右バスに乗車し、出席カードを集めたり、励ます会の会場において、帰路に乗車する者が車を間違えないようにするため、右プラカードを持つて励ます会の出席者らの誘導をするなどした旨、なお、同人は宇和島バス車内には被告人Kは乗車しておらず、宇和島バス車内で現金が配られたこともない旨供述している。

そして、弁護人提出の当日の励ます会の会場の状況を撮影した写真(弁護人請求証拠番号一三ないし一五等)には、宇和島バスに乗車していた被告人ら多数が写つている辺りで、U’がバスの案内用のプラカードを持つて佇立しているところが写つている。なお、当日、U’が他のバスに乗つて帰つたという証拠は存在しないから、宇和島バスにU’が乗つて帰つたことが推認できる。そうするとU’の、宇和島バス車内で世話人役をしたとの公判供述の信用性は、右写真によつて十分に裏付けられているものと認められるのであり、更に、同人は警察官からのみでも宇和島バスに乗つていて現金供与を受けたとして九回も取調べを受けて、精神的に耐えられない状況になり病気になつて入院までしたこと、当初現金供与を受けたことを否認していたことなどが認められることからして、検察官主張の如く、同人が捜査を撹乱するためのダミーの疑いもあるとか、捜査撹乱計画をたて殊更に虚偽の事実を述べているとは到底認められない。

なお、宇和島バスに乗つていた相当数の者が、捜査官に対してU’が同じバスに乗つていたと言い、被告人Lも捜査官に対して、「U’は朝汐公民館前からバスに乗り、よしの橋で下車した。」旨述べているのであり、これらのことも、U’が宇和島バスに乗つていたとの前記認定を補うものであると考えられる。

もつとも、検察官は、被告人Aの検面によれば、同被告人がワゴン車で朝汐公民館前まで行つた時には、宇和島バスは朝汐公民館前に来ていたと供述しているところ、U’は、被告人Aのワゴン車で被告人Lと共に、よしの橋(和気町二丁目バス停付近)まで行き、宇和島バスを朝汐公民館前まで移動させたとし、更にバスの移動方法等についても、その供述が齟齬する旨主張するが、関係証拠によれば、被告人Aは、U’、被告人Lをよしの橋に運んだ後、他のバス発着場所を回つて手配をする等して、朝汐公民館前まで来たことが認められるし、バスの移動方法についての供述が齟齬する点は、それが特に重要な事項でないため、記憶に鮮明さが欠けたり変遷等があつたためであると思料されるから、右各供述に不自然、不合理な点があるとまでは考えられない。

更に、検察官は、U’は供述の変遷理由などについての検察官の質問に口ごもるなどして、合理的な説明もしない旨主張するけれども、U’は、もともと無口で、表現力が十分あるとは言えないことがその公判供述からも明らかである。なお、検察官は、右の主張に反して、U’は、無口で、存在感の薄い人物であるのに、宇和島バス内で封筒が配られた際、立ち上がつて、「封筒は行き渡りましたか。」と言つたというが、そのような必要性はない旨主張するけれども、U’は宇和島バスの世話人としてバスに乗つていたのであるから、そのような程度のことを言つたのが不自然であるとする検察官の主張は理解できない。

なお付言すると、現に捜査官も、U’が、宇和島バス内で、被告人Kらから現金五〇〇〇円の入つた封筒を受け取つた旨の供述までさせたが、バスの座席の位置の関係で、U’が宇和島バスに乗つていたとすることができないと考えたためか、検察官はU’について公訴提起をしていない。

(3) そして、被告人K以外の被告人ら四三名は、捜査段階、公判段階を通じて、いずれも励ます会からの帰途の宇和島バスに乗つていたことを認めているのであるから、更にU’が右バスに乗つていたことになると、被告人Kの着席していた座席がないことになり、結局、被告人Kは、宇和島バスに乗つていなかつたとの結論が導かれる。

(4) これに関して、T’子の公判供述によれば、T’子は、帰途のバスで被告人Kは運転席のすぐ後の座席に被告人Lと並んで着席していた旨述べているが、T’子は、後記のとおり、被告人KとU’又は被告人Lらとを取違えて記憶している可能性が否定できないうえ、被告人Lは、運転席の反対側の座席の最前列に座つていたというのが、被告人Lを始めとする多数の被告人が捜査官に対して供述するところであり、右各供述は信用できるものと考えられるから、T’子の各公判供述は採用できない。

(5) なお、被告人らが、捜査官に対して、励ます会からの帰途の宇和島バス車内における自己及び知人の乗車場所として指示するところは、かなり齟齬するところがあり、これを確定することは難しいが、被告人らのなかには、捜査官に対して、運転席のすぐ後の座席に被告人Kが着席していたと供述しているものがある。

しかし、被告人らの捜査官に対する供述を検討してみると、被告人らのなかには、被告人Kが着席していた場所として指示する座席について、被告人Aが座つていたとする者などもあつて、その座席に誰が着席していたかは確定し難いうえ、被告人Kの隣席に座つたと述べる者は誰一人ないこと、僅かに被告人E子のみが、被告人Kの後の席に座つていた旨、員面で述べているが、右E子の供述は、同被告人が宇和島バスの運転席の後側で前から二番目の座席に着席していたことを前提とした供述であるところ、関係証拠によれば、E子が座つていたとする右座席は、大部分の者が、C及びD子が着席していた座席であると捜査官に対して供述しているところであり、右供述が信用できないとする理由も見当たらないから、右E子の員面は直ちに採用できないものである。

以上の次第で、被告人らの捜査官に対する供述調書中に被告人Kがバス車内に着席していた座席を指示するものがあることから、被告人Kが宇和島バスに乗つていたとすることはできない。

(四) 被告人KとU’との誤認の可能性について

前記のとおり、捜査官は、T’子に被告人Kらの写真を示して、宇和島バス内において励ます会の世話人として活動した者の指示を求め、被告人Kを割出したと認められるところ、証人T’子の公判供述によれば、T’子は、これまで被告人Kらとは面識がなかつたこと、供与者とされている被告人らが事実を認めている旨警察官から言われたこと、警察官から、多数の者の写真を示されて、当日の宇和島バス車内の世話人をしていた者を指示するように求められたことから、被告人Kについては顔の輪郭を見て写真を指示した旨供述する。なおT’子が警察官から見せられた右各写真の中にU’の写真が入つていたことを認める証拠はない。

そして、T’子は、近い場所からだとはいえ、宇和島バスの車内灯等のみの灯で相手を見たに過ぎず、その機会もそれ程頻繁ではなく、ましてや、マイク放送をする等していた世話人とバスガイドの座席の関係から、相手の顔をよく注視していたとは認められないこと、多数の乗客に会うことがその職業上必然的な要素になつていること、宇和島バスに乗車勤務してから警察官が事情聴取をするまでに相当期間を経過していること、被告人KとU’とは、身長とか感じとかに違いはあるものの、年齢、顔の輪郭、容貌、体形等が類似した特徴を持つていることは否定し難い事実であること、T’子が見せられた写真は男性ばかりで二〇名はあつたと思われるが、右各写真は、黒焼きの小さいものであつたことなどを総合考慮すれば、T’子が被告人KをU’と間違えて指示した可能性を否定できず、このことは、T’子自身も、公判供述で、U’と被告人Kを現に見比べて見て、右両名を取違えた可能性があるとしていることからも明らかである。

もつとも、T’子は、右写真を指示した後、被告人Kについて面通しをしているが、これも、相当期間を経過してのことであるうえ、U’と比較しての面通しではないから、前同様の事情から、面通しについてもT’子が間違つた結論を導いたと考えて不思議ではない。

なお、U’は、励ます会から選ばれた世話人であるから、T’子供述にいう最初に宇和島バスに乗つた人物が、実はU’であつたとしても、別段不自然なことではない。

更に、T’子は、公判供述で、当日宇和島バス車内で被告人Kが、マイクを使用して「ビールでも飲んで下さい。」などとの趣旨の挨拶をした旨述べるが、同時に、被告人Lが法廷でマイクを通して話してみせた「ビール券なら良いのですが。」などという挨拶と前記被告人Kの挨拶についての記憶とを比較して、当日被告人Kがバス車内で述べたとする言葉が、被告人Kではなく被告人Lによつてなされた可能性を否定しない。

(五) 被告人Kの世話人としての適格性について

関係証拠によれば、被告人Kは、励ます会が開催された前後を通して、甲野太郎を支援する行動を全くしておらず、甲野太郎後援会にも全く関係していないことが認められるから、仮に親族のR’から頼まれたとしても、宇和島バス内での世話人となり、同車内で現金供与をする等の活動をするというのは理解し難い。

なお、検察官は、R’において、現金供与行為はBに頼み、バス内での世話人役は被告人Kに頼んだものと認定できるとするが、関係証拠によれば、R’は、甲野太郎後援会の役員をしているものの、選挙活動をすることについてはあまり熱心でなく、現金供与行為も、Aに頼まれたうえ、同人から断り切れない状態で現金を渡されたことから、その措置に困り、たまたま出会つたBに、その配付方を更に頼んだという経緯があることが認められるのであり、そのようなR’が甲野太郎後援会に関係のない被告人Kにバス内での世話人役、それも現金を供与するという可能性を含む役目をすることを頼み、被告人Kもこれを受けて宇和島バス内で世話人役をした上、現金供与行為を行つたというのは、不合理である。なお、前記のとおり、宇和島バスの発車時間の変更についても、R’又はその依頼者から被告人Kに通知がされたという証拠もない。

(六) 励ます会会場における被告人Kの不在

弁護人提出の励ます会の会場内の状況を写した写真(弁護人請求証拠番号一三ないし一五、九四)及び証人C’’の公判供述等を総合すれば、当日宇和島バスで励ます会に出席した者のうち、演説会場内に入場できた三名の者以外の全員が右写真の何処かに写つているのに、ひとり被告人Kが写つた写真が全く存在しないことが認められることを併せ考えれば、これは、被告人Kが、励ます会に出席しておらず、その帰りの宇和島バスにも乗車していなかつたことを示すものと見られる。

4  (小括)

このように見てくると、被告人Kが宇和島バスの世話人として乗車していたとする捜査官の判断の前提となつたT’子供述は、極めて根拠の薄い、かつ不自然、不合理なものであり、不正確なものであつたと認められる。

5  被告人Kが本件に関与していない場合における本件の不成立

前記のとおり、T’子供述には信用性がなく、これにより、被告人Kが宇和島バスに乗つていたと認定することはできない。なお、被告人Kが宇和島バスに乗つていたとするその他の被告人らの捜査官に対する供述については、前記のとおり、U’が当日宇和島バスの世話人として乗つていたことが認められ、バスの乗客数が合わなくなること、被告人Kの乗車、下車場所が判明しないこと等の前記T’子供述の問題点に鑑み、かつ右被告人らの捜査官に対する供述が、捜査官において、T’子供述を前提として後記のとおり問題のある取調べをした結果得られたものであり、不自然、不合理な面が多いから、直ちに採用できないものであること、他に被告人Kが宇和島バスに乗つていたとの証拠はないことから、結局、被告人Kが宇和島バスに乗つていたと認めることはできない。

そうすると、被告人Aの検面で、同被告人が、「被告人L及び被告人Kの両名に対して、宇和島バスの乗降口付近で、『封筒の中に弁当代を入れとるけん、みんなに説明して配つてくださいや。』と言つて、現金を入れた封筒の入つた袋を渡した。」旨供述している点、被告人Kの検面で、同被告人が、「被告人Aから現金入りの封筒を皆に配るように言われて、承諾し、同人から現金入りの封筒を入れた袋を被告人Lと二人で受取り、帰りの宇和島バスの中で、封筒を持ち上げて、みんなに見えるようにしながら、『封筒はゴミではありません。ビールでも飲んで下さい。決してゴミではありませんから捨てないで下さい。』などと挨拶をし、その間に被告人Lらが封筒を配つた。」旨供述している点、被告人Lの検面で、同被告人が、「被告人Aから、『封筒に弁当代を入れておいたから配つてや。』と言われた。その時、被告人Kも側にいた。宇和島バスの中で、被告人Kが挨拶をしているときに、封筒を出して、通路を挟んで左右の前の人に、束にして、『一通ずつ取つて、後の人にまわして下さい。』と言つて渡した。」旨供述している点、その他の大部分の被告人らが検面で、被告人Kが宇和島バスに乗つていて、帰途のバス内で、同人の、「ビールでも飲んで下さい。」「これはゴミではありません。捨てないで下さい。」という挨拶ないし注意があつて、現金が入つた封筒がバスの席の前から後に順次手送りの方法で配られた旨供述している点など、いずれも本件における核心的な重要な点が事実に反し、信用できないものであると認められるから、本件犯行が敢行されたとすることはできない。

なお、被告人Kが宇和島バスに乗つていなかつたとして、かつU’が右バスに乗つていたとして、かつ現金五〇〇〇円を受け取つたと供述しているとしても、被告人A及び被告人Lのみが、更にはこれにU’を併せた三名の者が、他の被告人らに現金五〇〇〇円を供与したことを認めるに足る証拠は全く存在しない。

三  被告人らの供述調書の信用性の検討

1  被告人Kの乗車の有無等に関して

(一) 被告人Kの検面、員面について

被告人Kの検面によれば、同人は、急ぎ帰宅し、着替えをし、夕食の準備をしていた妻に、何も言わず、行先を知らさず、励ます会に出席するために出掛けた旨供述している。しかし、帰宅した被告人Kが着替えをする部屋と、妻が炊事をしていた台所とは二、三メートルしか離れておらず、被告人Kは、妻と容易に会話等ができる状況であつたに、妻に声もかけずに、励ます会に出掛けるというのは不自然であること、関係証拠上、当日午後六時ころ、被告人Bが、被告人K方へ励ます会への出席依頼に来ていることが認められるのに、そのことも被告人Kが励ます会に出掛けたとされる際に話題になつたとする証拠はないこと、前記のとおり、被告人Kが長淵橋から宇和島バスに乗るのにも、なお時間的に無理があると見られること、仮に被告人Kが長淵橋から宇和島バスに乗車することが可能であるにしても、被告人Kが長淵橋から宇和島バスに乗つた旨捜査官に対して供述しているのは、被告人P、同B、同D子、同H子であるが、後記のとおり被告人P、同B、同D子、同H子の捜査官に対する各供述にも不自然なものがあることからして、被告人Kが長淵橋から宇和島バスに乗つたとすることには疑問が残ること、なおまた、証人D’’の公判供述によれば、被告人Kの妻のD’’子は、テレビ番組の記載されていた新聞紙等に基づき記憶を喚起したとし、当日被告人Kは午後九時五分ないし一〇分ころに自動車で帰宅した旨述べて、被告人Kが、当日宇和島バス車内で現金供与がされたとするころに自宅にいたから、被告人Kにはアリバイがある旨供述していることなどに鑑みれば、被告人Kの右検面も不自然である。

更に、被告人Kは、員面で、励ます会で甲野太郎の挨拶を聞いたとか、帰りに、プラカードを持つたU’の所へみんなが集まり、U’に誘導されて、県民文化会館北側の西奥に駐車していた宇和島バスまで行つたとか、励ます会からの帰りの宇和島バスは、県民文化会館の駐車場から発車したとか(検察官請求証拠番号六七等)、帰りの宇和島バス車内では、運転席のすぐ後の座席にCと並んで着席したとか供述しているが、宇和島バスで励ます会に出席した被告人達は、全員、バスが遅れて、励ます会の会場に着いた時には、戊田国会議員が演説中で、甲野太郎の挨拶は既に終わつた後であつたと捜査官に対して供述していること、帰りに、プラカードを持つたU’の所へみんなが集まり、U’に誘導されて、県民文化会館北側の西奥に駐車していた宇和島バスに乗車した旨述べている者は誰もいないこと、またCはD子と並んで着席していた旨多数の者が捜査官に対して述べていること、更に、T’子、被告人A、同L、同M、同D’らは、いずれも、捜査官に対して、励ます会からの帰りの宇和島バスは、県民文化会館の裏の道路脇に東向きに駐車していた旨述べていて、この事実は間違いないと考えられるのに、被告人Kのみが、検面等で、帰りの宇和島バスの発車地点について異なる場所を指示するのは不自然であることなどの諸点を総合すれば、被告人Kにおいて、経験しない事実を捜査官に対して述べた結果、このような供述調書が作成されたのではないかと推測される。

(二) E’’の検面について

E’’の検面によれば、同人は、被告人Kが励ます会に行く宇和島バスに、バスが長淵橋に来る以前から乗つていて、バスの進行方向に向かつて右の二番目の通路側に席を取つていたと述べるのであるが、長淵橋の前の宇和島バスの停車場所である朝汐公民館前等から被告人Kが宇和島バスに乗車することは前記のとおり時間的な関係で不可能であると認められること、なお、E’’において、被告人Kが乗車していたと述べる座席は、大部分の関係者が、捜査官に対して、被告人D子が着席していたと供述している座席であつて、これら関係者の供述が信用できないとする理由は見当たらないこと、証人E’’の公判供述によれば、同人は、「警察で取調べを受けた当時、和気地区では宇和島バスに被告人Kが乗つていたかどうかが話題となつていた。自分は、警察官に、『Kは乗つていたんですか。』と聞いたが、質問しなくてよいと言われた。取調べの際、被告人Kが乗つていたと言つてしまつたが、その心理はわからない。」旨述べ、被告人Kが宇和島バスに乗つていたことは否定し、検面の記載は間違つた供述であつた旨供述していることなどの諸点を総合すれば、「検面等で嘘を言つた。」とのE’’の公判供述の理由は理解し難く、E’’の右供述は納得できないものの、E’’の検面は結局信用できないから、右検面に従い被告人Kが宇和島バスに乗つていたと認定することはできない。

(三) 被告人Pの検面、員面について

被告人Pの検面等によれば、同人は、被告人Kが長淵橋から宇和島バスに乗車した旨述べるものの、その員面の供述内容は、「長淵橋から顔を知らない男が乗車したから、それが被告人Kである。」と言うもので、その供述は極めて根拠の薄弱なものであること、しかも前記の被告人Kの宇和島バスに乗つたとされるまでの行動等からして、被告人Pが検面で述べるところの当日午後六時二〇分ころに、被告人Kにおいて長淵橋で宇和島バスを待つということは時間的にも不可能であり、不自然であると認められること、なお、被告人Pは、被告人A、被告人Lが宇和島バスに世話人として乗つていたことは警察官に対して比較的早く供述しているのに、被告人Kが宇和島バスに世話人として乗つていたことについては、宇和島バス内で現金供与を受けた事実を認めた後の段階になつて供述しているところ、同人の捜査官に対する供述によれば、同被告人において被告人Kが宇和島バスの世話人として乗車していたことを供述しなかつたのは、被告人らの申し合わせにより、警察での取調べの際に「被告人Kは、当日のバスに乗つていなかつた。バス車内で現金は貰つていない。」と言うことにしていたと言うのであるが、被告人Pと被告人Kとは、これまで交際が全くなく、被告人Pにおいて特に被告人Kをかばわなければならなかつた事情はないのに、被告人Pが現金供与を受けた事実を認めた段階において、被告人Kが宇和島バスに乗つていたことの供述をしていないと言うのは不自然であることなどから、右被告人Pの捜査官に対する供述は信用できない。

(四) 被告人H子の員面について

被告人H子の員面によれば、同人は、被告人Kが長淵橋から宇和島バスに乗つた旨述べているが、被告人H子は、帰りの宇和島バスでは、被告人Kは長淵橋で下車していない旨も述べているのであつて、被告人Kの宇和島バスへの乗車場所及び下車場所の両方について、被告人H子と同旨の供述をしている者は他にいないこと、そして、被告人Kが長淵橋から下車していないとすると、よしの橋で下車したとの証拠は全くないから、その下車場所について考えられるのは西堀端のみであるところ、この趣旨の供述が信用できないのは前記のとおりであることから、被告人H子の右員面は、結局、信用できないものであると考えられる。

(五) 被告人B、同D子の検面、員面について

(1) 被告人B、同D子、被告人Kが長淵橋から宇和島バスに乗つた旨検面で述べているけれども、同被告人らは、長淵橋でバスに、七、八人の者が乗つて来た中に被告人Kがいたというものであるが、T’子の公判供述、Pの検面その他の関係証拠によれば、長淵橋からは、宇和島バスに二〇人くらいもの多数が同時に乗り込んだと認められるから、被告人B、同D子の供述するところと右関係証拠上認められるところの長淵橋における関係者の宇和島バスへの乗車の状況が齟齬する。しかも、被告人Bは検面で、被告人Kは宇和島バスに乗るとすぐにマイクを使用して挨拶をしたなどと、他の誰もが述べないことを述べているのであつて、右被告人Bの検面には不自然な点がある。なお、被告人B、同D子は、被告人Kと近親関係にあるが、親族の場合には、無実の罪を被せても、他人に対し同様の行為をするよりも非難性が少ないと考える余地もあるから、被告人B、同D子が、被告人Kと近親関係にあることを捉えて、その供述が信用できるという結論を導くのは相当でない。

したがつて、被告人B、同D子の検面の信用性にも疑問がある。

(2) なお、被告人Bの員面の信用性等について検討すると、同被告人は、一度警察官に自白した後、その供述を変更して、被告人Kは、宇和島バスに乗つていなかつた旨述べ、更に警察官に追及されて、再び被告人Kが宇和島バス車内の世話人として現金供与に関係した旨供述するに至つているところ、その際、警察官に対する当初の供述を前記のとおり否認に変更した理由として述べるところは、「金を貰つた、Kは宇和島バスに乗つていた、というような嘘を言つたと言い掛かりをつけられたので腹が立ち、警察で嘘の供述をした。」というものであり(検察官請求証拠番号五一三)、言い掛かりをつけられ立腹したというならば、そして、これまで真実を述べていたという意識があることを前提とすれば、立腹しても原供述を維持し、これに固執するのが筋であつて、言い掛かりをつけてきた腹の立つ相手に迎合する結果となるような、しかも虚偽の供述を警察ですることが、合理的な関係にあると考えることはできない。

(3) また、同被告人は、宇和島バス内で封筒が配られた時の状況として、乗客が、「にやり」としていたとか、金を数えるような様子をしていたとか述べているところ、他の被告人は誰もそのようなことを述べていないことに加えて、大部分の被告人らの検面等によれば、自宅に帰つて封筒の中を見て、初めて現金が入つているのを知つた旨供述していること、僅かに、宇和島バスを下車してから現金供与を受けた被告人らが、バス内で現金を確認した旨述べているが、そうだとすると、バスを下車してからの判示罪となるべき事実記載の現金供与、受供与の際に、バス内での現金受領の点について何らかの話があつてよいはずであるのに、このような事実があつた証拠が見当たらないことから、右被告人Bの供述にも疑問があると考えられる。

(4) 検察官は、被告人Bは公判段階になつても、検察官の面前では本件犯行を否認していないのであつて、同被告人の公判供述は他の被告人らの圧力があつたためであると認められ、その公判供述は信用できず、同被告人の検面等は同被告人の真意を述べたものである旨主張するけれども、同被告人は、判示罪となるべき事実記載の犯行を敢行したものであつて、その罪責は本件犯行よりも相当に重いものであること、同被告人は、そのため当初は、宇和島バス内での現金供与に捜査の重点が向けば、自己の宇和島バス下車後の犯行の罪責を免れるなどとも考えていたこと、したがつて同被告人の心理状態には浮動的な面があつて、捜査機関に対する対応も一貫しないものがあることが認められ、現に、その員面にも、前記のとおり理解できない理屈を述べて犯行を否認するに至つた経緯を説明したことになつていること、同被告人の公判供述そのものは、一貫していて、特に不自然、不合理な点、特に虚偽の事実を述べているものと見られる点は認められないことなどの諸点を総合考慮すれば、同被告人に検察官主張の如き態度が見られたからと言つて、これを捉えて、その公判供述が信用できず、検面等は信用できるとする見解を取り難い。なお、同被告人は、略式手続による事件処理を承諾し、略式命令に対して正式裁判請求をしているが、このようなことは希有な事例ではないから、右結論を左右しない。

(六) 被告人H子、同Gの検面について

被告人H子、同Gの検面によれば、被告人Bから判示罪となるべき事実記載の現金各五〇〇〇円を受け取つた際に、Bから「Kのことは黙つておいてくれ。」と言われたと検察官に対して述べているのであるが、Bにおいて、被告人Kが宇和島バスの世話人をしていたことを、被告人H子、同Gに対して、右現金各五〇〇〇円を渡した段階で口止めしなければならなかつた理由は全く見当たらず、Bがこのようなことを言つたと言うH子、Gの検面は不自然の感が拭えない。

(七) 被告人Mの検面、員面について

被告人Mの員面によれば、同人は、宇和島バス車内で現金五〇〇〇円の供与を受けたことを、当初認め、後に否認に転じ、更にまた認める供述をするに至つているのであるが、同人は、当初犯行を認めた際、長淵橋から宇和島バスに乗つたが、被告人A、同K、同Lは、同所で既に宇和島バスに乗つていた旨供述し、否認後、犯行を再び認めるに至つてからも、右については当初と同一の供述を捜査官に対してし、なお同被告人の検面では、U’が円明寺から宇和島バスに乗つたなどと供述しているのであるが、前記のとおり、被告人Kは宇和島バスの長淵橋の前の停車場である朝汐公民館前等から乗車することは時間的に不可能であると認められること、また関係証拠によれば、被告人Aは宇和島バスが長淵橋で停車した後の停車場所である円明寺前から乗車したと認められること、U’は朝汐公民館前から宇和島バスに乗つたと認められることと齟齬するから、被告人Mの員面中にも極めて不自然、不合理な部分が存在すると言わなければならず、ひいては、同被告人の自白調書そのものの信用性にも疑問を生ずる。

(八) 被告人I子の検面について

被告人I子は、検面で、被告人Kらが宇和島バスの世話人をしていて、現金五〇〇〇円入りの封筒を宇和島バス内で供与した旨供述しているが、被告人I子は、被告人Kの自宅近くに住んでいて、同被告人を良く知つていたものと認められるのに、被告人Kが宇和島バスに乗つた場所、下車した場所について全く述べていないのであつて、E子を介してBから現金五〇〇〇円の供与を受けた時の状況を具体的、詳細に検察官に対して述べていることと比較して不自然な感を免れず、被告人I子の宇和島バス内における現金五〇〇〇円の受供与の検面の信用性についても疑問が残る。

2  その他、被告人らの供述調書の不自然な点について

(一) 宇和島バスの世話人について

被告人Aの検面その他の関係証拠によれば、宇和島バスの世話人は本来二人の予定であつたことが認められるところ、被告人Aはたまたま宇和島バスに乗ることになつたものであるが、被告人L及びU’が世話人として宇和島バスに乗車しているうえ、更に甲野太郎後援会の役員であるM、Pが右バスに乗車していることが認められるのに、更に加えて甲野太郎後援会に無関係な被告人Kが世話人として乗車する必要性が見当たらないから、被告人Kが宇和島バスに世話人として乗車したとする被告人らの捜査官に対する供述は不自然である。

(二) 本件現金供与共謀の唐突性

被告人Aと被告人Kはこれまで面識がなく、当日初めて会つた間柄でしかなかつたこと、更に、被告人Kは甲野太郎後援会に関係しておらず、同人の支持者でもないこと、そして詳しい人物紹介や事前共謀があつた形跡は証拠上窺えないのに、こうした面識のなかつた者を加えて、宇和島バスの車内で現金供与をするという検挙される危険性の高い行為をしたというのは不自然であること、右共謀の成立過程について述べる被告人らの捜査官に対する供述も、被告人Lによる被告人Aに対する被告人Kの簡単な紹介と、被告人Aが、被告人Kが傍らにいた際に被告人Lに「封筒に弁当代を入れておいたから配つてや。」との趣旨を言つた程度のものであつて、封筒配付の役割や手順等については、それ以上の事前共謀や暗黙の合意さえできた気配のないものであつて、被告人Aの意向を察知した被告人K、同Lが、これに反対したり、躊躇したりした気配をした証拠は全く存在しない。そして右両名において、被告人Aの意向に直ちに同意し、これを実行したというのは、不自然であり、あまりにも唐突な感が免れない。

(三) 現金供与があつたとすることの不公平性

前記のとおり、和気地区甲野太郎後援会支部の副会長であるM、同和気二丁目の世話役であるPまでが宇和島バスに乗つていたということから現金供与を受けたというのは不自然であること、他方、関係証拠によれば、励ます会に出席して、帰りの宇和島バスに乗らず、そのまま「ナイトパブ丁原」へ飲酒に出掛けたB’’、Z’らがいることが認められるところ、被告人Lは、宇和島バスの世話人としての役目を終えた後、予定どおり、右「ナイトパブ丁原」へ飲酒に行つた者達と合流したのに、被告人Lらは、残つた現金入りとされる封筒を自己の分及び既に右「ナイトパブ丁原」へ飲酒に行つた者達の分を持ち帰ることなく、被告人Aに全て渡したと捜査官に対し供述しているのであるが、これまた首尾一貫せず、不合理であると認められる。

なお、和気地区へは励ます会への出席者を送迎するために宇和島バスを含めて四台のバスの配車があつたが、被告人Aは甲野太郎後援会の和気地区の全体の責任者であるのに、宇和島バス以外のバスについて、現金供与をし、又はしようとしたことの形跡がないのも不自然である。けだし、かかることになると、他のバスの乗客から不公平感、同被告人に対する不信感が生じて、結局、その意図に反した結果を招く可能性があると明らかに考えられるのに、このようなことさえ考えずに本件を敢行したというのは理解できないからである。なおまた、同被告人は、たまたま宇和島バスに乗車したものであつて、特に宇和島バスを選択したうえ、現金供与をした事情、動機を認めることはできない。

検察官は、被告人Aは、はじめ和気町一丁目の住民を乗せたバス内で現金を配る予定であつたところ、往路、復路共にそのバスに乗ることができず、かつ県民文化会館内で和気町一丁目の担当者とも接触し得なかつたことから、和気地区の票固めを急ぐあまり、やむなく和気町二丁目の住民を中心として乗せている宇和島バス内で現金を配つたものである旨主張するけれども、まだ投票日まで一月以上ある状態で票固めを急いだとしても、右の如き不公平であり、かつ宇和島バス内でこのような行為をすることは検挙される危険性も高いのに、あえてバス内で現金配付をしたというのも、あまりに不自然である。

他方、前記罪となるべき事実記載の者らに対しては、宇和島バスの内外で二重に現金が分配されたとされていること、しかもその現金の出所は、いずれも被告人Aであるということも、不自然、不合理である。

(四) 現金配付方法の不自然性

宇和島バス車内で、現金入りの封筒が、前の席から後の席へ順次手送りの方法で配られたと被告人らは捜査官に対して供述するのであるが、現金入りの封筒を四〇名以上の者に渡すに当たり、このような方法で現金を配る者はないとまでは言い切れないものの、本来この種の犯行は密行性が要求されるのに、バス運転手、バスガイドなどの第三者がいるうえ、宇和島バスの乗客そのものも、供与者とされる者にとつては特定されていない状況下で、時間的又は人的に余裕がなかつたわけでもないのに、個々に手渡した投票依頼をするという方法が取られず、マイクを使用して放送したうえ、各々に対して渡されたか否かの確認の出来ない順次手渡しの方法で現金を渡すというのは、あまりに大胆であり、危険であると考えられ、不自然であると見られることも、関係供述の信用性を疑わしめる。

(五) 現金の準備行為について

被告人Aの検面によれば、同人は、宇和島バス車内で供与した現金は、同被告人が売上等の中から妻に内緒で現金三十四、五万円を取出し、これを五〇〇〇円札に両替して供与する準備をした旨供述しているけれども、F’’子の公判供述その他の関係証拠によれば、同被告人が妻に内緒で右現金を取出すことは不可能であつたと認められる。なおF’’子の検面は被告人Aの検面に沿うものであるが、これは身柄拘束期間が長期になることに耐えかねた被告人Aが弁護人を介して、妻のF’’子に自己の供述に沿う供述をするよう指示した結果であるとも見られるから、F’’子の検面により、同人の公判供述を左右することはできない。

また、右現金について、被告人Aが述べる両替先では両替の事実が確認できないから、結局、被告人Aの右検面は信用できるものとは言い難い。

なお、被告人Aが準備していたとする金員について、他に出所があるとする見方も考えられ、五〇〇〇円札への両替も被告人Aがしたのではないとの見方も考えられるが、そうすると、R’に対しては一万円札を交付していること、宇和島バス内で現金供与を受けた者の中に一〇〇〇円札が入つていたとする若干の者がいることの合理的な説明ができなくなる。

なおまた、被告人Aは捜査官に対して、励ます会の会場であつた愛媛県民文化会館内の和式の大便用トイレの中で急ぎ封筒の中に現金を入れる作業をした旨供述しているけれども、同所には便器に蓋ができて右のような作業のし易い洋式の大便用トイレが隣合つてあるのであるから、前記のような特殊な行為をする者があることを全く否定できないとしても、やはり被告人Aの捜査官に対する右供述は不自然な感が拭えない。

(六) 車外で供与された現金を両替した事実の不自然性

被告人Fは、捜査官に対して、宇和島バス車内で五〇〇〇円札の入つた封筒を貰い、家の居室で五〇〇〇円があるのを確認した旨述べながら、Bから、Jの分と併せて、一万円を貰つたが、釣り銭がないので、両替して、翌日Jに五〇〇〇円を渡した旨を捜査官に対して供述しているのであつて、現に五〇〇〇円を宇和島バス内で貰つたとしながら、Bから預かつたJに渡す分の五〇〇〇円をわざわざ両替したとするその供述には矛盾がある。

など、被告人らの捜査官に対する自白調書には不自然な面があり、信用性に疑問の余地の多いものが少なくない。

3  被告人Cの捜査官に対する供述の信用性について

本件では、被告人Cは、平成二年二月九日という早い時期に宇和島バス車内で現金供与の事実があつたことを自白し、以来、同被告人が捜査段階で右自白を維持していることからみて、一般的には、その自白の信用性は高いものと考えられるが、山上皓作成の鑑定書、同人に対する裁判官の尋問調書等によれば、被告人Cは、性格的に弱い面があつて、小心で自信に欠け、判断力等に問題があり(IQ三〇を若干上回る程度で、精神薄弱の痴愚に分類される。)、自己の供述が裁判に及ぼす影響の重大性を見通すことができず、警察における長時間の取調べは同被告人に著しい不安と苦痛をもたらし、容易に重大な虚偽の供述を導く可能性があることなど、同被告人の判断力の不足に起因する問題があることが認められるところ、同被告人は、宇和島バス下車後にBから現金五〇〇〇円の供与を受けた者で、警察官に対して少なくともその弱みを持つていたと認められること、他方、警察官は、入手した情報やT’子供述から宇和島バス車内で現金供与があつたのは間違いないとの考えを持つていたものと認められるところ、この先入観を持つて、被告人Cから事情聴取したため、同被告人は、著しい不安感、緊張感ないしは恐怖感等を抱き、かつ、このような警察官からの追及ないし誘導に合い、警察官に迎合し、又は警察官の誘導に乗り、宇和島バス車内で現金五〇〇〇円を受領した旨警察官に供述した疑いが否定できないから、同被告人の員面等の客観性、信用性には問題があり、これを過大に評価し、同供述により宇和島バス車内で現金供与の事実があつたと認定することは相当でない。

もつとも、証人K’’の公判供述等によれば、平成二年二月九日に被告人Cから事情聴取した警察官K’’は、Cは老齢のため通常人より能力的に若干劣る面があるものの、その判断力等は的確であつたと言うのであり、また当時は情報内偵の段階のこともあつて、Cに対して追及的な事情聴取はしていないと言うのであるが、被告人Cは、前記の事情に加えて、初めて対面した警察官から、二時間もの間、事情聴取を受けて、著しい不安、緊張の場面に置かれたことは容易に推察できること、なお被告人Cの検面は、こうして作成された員面を前提としたものと推認されることに前記鑑定の結果等を総合すれば、証人K’’の公判供述等によるもCの員面等の信用性には疑問があるとする前記認定を左右しないと考える。

4  何故このように信用性に疑問のある供述調書が作成されたのか

結局、本件犯行を自白した被告人らの捜査官に対する供述調書の信用性には疑問があるとの結論とならざるを得ない。そして、何故このように信用性に疑問のある自白調書が作成されたかについて、当裁判所は以下のとおり考えるものである。

(一) 取調べ全体の経緯

被告人らは、いずれも公判供述等で、警察官から、執拗に呼び出されて取調べをされ、或いは事実を認めなければ逮捕すると言われ、又は家族も取調べるなどと言われて、強引に取調べられ、その追及に耐えられず、やむなく真実はそうでないのに、犯行を認める虚偽の自白をした旨述べている。

一般的に言えば、強制捜査を避けて任意捜査の対象とした被疑者については、身柄確保がされていない関係もあつて、度々の出頭を求めるのはやむを得ないと考えられるし、また逮捕の要件がある者に逮捕する旨告げたとしても、その後の捜査が任意性を失うとも考えられないし、更に必要があれば、被疑者の家族から事情を聴取することも問題はないと考えられるから、前記被告人らの公判供述等は、それのみでは本件自白の信用性を否定する理由とはし難い。

しかし、本件においては、捜査官は、被疑者が自白しない場合には、殆ど連日、朝から夜間に至るまで取調べ、その回数は、数日間に及んだこと、そして厳しく追及しても自白しない者、自白したがその後自白を撤回しようとする者については、罪証湮滅のおそれがあるとして逮捕、勾留する方針で臨み、現にこの方針を実行したと見られること、他方、被告人らは、一部の者に道路交通法違反等の罰金前科があるのみで、警察の取調べを受けた経験のない者が殆どであり、かつ農業等の対人的な経験の少ない職業の者や、老人、家庭の主婦等で警察とは殆ど関係がない者であるといつた事情等に照らすと、その取調べの経緯等に問題があつたと考えられる。殊に後記のXに対する警察官の行動等は、本件捜査における捜査官と被疑者との関係の特異性を示すものと見られる。

また、本件捜査においては、例えば、被告人Lの場合、平成二年二月二一日、本件被疑事実により逮捕され、翌二二日付の犯行否認調書を作成してから、同年三月三日に至つて、同被告人が本件被疑事実を認める供述をするに至るまで、連日朝から深夜までの取調べを受けたが、全く供述調書が作成されていないことからも窺えるように、捜査官は、その心証に反する被告人らの供述には全く耳をかさず、いわゆる押し付けの捜査を繰り返していたものと見られる余地が多い。

更に、本件取調べの当初の対象者は、被告人A、同K、同Lら供与者側にあると考えられた者以外は、たまたま宇和島バスを下車した後での現金供与者、受供与者であつた前記罪となるべき事実記載の被告人らが主であり、これらバスから下車してからの現金授受の関係者にとつては、現金五〇〇〇円の受領についての取調べも、宇和島バスの外と内部との現金授受の関係に過ぎず、更に両者が共に問題にされだしてからでも、五〇〇〇円の現金受供与が一万円となる程度の利害があつたに過ぎないから、虚偽自白への抵抗がなかつたものと見られることも看過し難い。

(二) 取調べに問題があつたと見られる事例

以下、本件取調べにおいて、問題があつたと見られる事実について、二、三の指摘をしてみることとする。

(1) 被告人Kの取調べについて

被告人Kの公判供述によれば、同人が本件犯行を否認するや、警察官は、被告人Kの頭を取調室の机に押しつけたり、首を締めたり、襟首をつかんだり、足を蹴つたり、灰皿を投げつける等の暴行を加えたというのであり、そして、被告人Kは、警察官の右の様な暴行及び身柄拘束から免れるためと、親族の者が被告人Kの犯行を認める自白をしているというので、やむなく犯行を自白した旨供述する。

これに対し、証人K’’の公判供述等によれば、被告人Kを取調べた警察官K’’は、平成二年二月一九日の取調べの際は、まだ犯罪事実について充分な心証を持つておらず、単に事実確認をしただけであるから、暴行等をしなければならない理由がないし、被告人Kを逮捕した後でも、時に大きい声を出したことはあるが、被告人Kが述べるような暴行を加える等の取調べは、全くしていない旨供述している。

そこで検討してみると、関係証拠によれば、警察官K’’は、知人から、宇和島バス内で現金供与がされたとの情報を入手したり、T’子から事情聴取したりしたこともあつて、本件犯行が敢行されたとすることについて相当強い心証を持ち、かつ、平成二年二月一九日の取調べの際、T’子らによつて被告人Kの面通しをしてからは、本件犯行の関係者の中で供与者側の主犯的な立場に被告人Kがいたとの心証も持つていたと推認され、しかも被告人Kに対する平成二年二月一九日の取調べが午前七時半ごろから夜間に及ぶ長時間になつていることを併せ考えれば、その取調べが警察官K’’が述べるような単なる事実確認の程度に止まるものであつたとは認め難く、被告人Kに対して、相当に厳しい追及がなされたことが推認できる。

なお、被告人Kの員面中の供述を検討してみると、自白から更に否認に転じていること、被告人Kの公判供述によれば、右のように否認に転じたのは、警察官から更に細かく追及され、現金供与の相手方が自己の親族のみでなく、自己に無関係な者になるなどしたためであるというのであること、また同人は、宇和島バスに乗車するに至る経緯について、被告人Lに頼まれて世話人として乗車したとしていたのが、R’に頼まれて世話人として乗車することになつたと供述を変えているのであるが、バス内での世話人をするように頼んできた相手の名前を明らかにすることが、それほど重要なものであるとは考えられないにもかかわらず、このように供述を変転させる合理性が見当たらないこと、また西堀端で宇和島バスから下車したと供述していたのが、長淵橋で下車したと合理的な理由の説明もないまま供述を変更し、また前記のとおり、丙川商会松山出張所からの帰宅途中、長淵橋を通りかかつた所で宇和島バスが駐車していたと警察官に述べていたのが、合理的な理由もないまま、宇和島バスを待つていた人が二、三人いたと検察官に対して供述する等、その自白内容は転々としていること、更に前記の被告人Kの供述内容の検討の結果等を総合すれば、被告人Kに対する取調べは、警察官ないし検察官の抱いていた心証を前提とした厳しい追及であつたのではないかとの疑いが拭い切れない。

もつとも、右取調べの際に、被告人Kが述べるような暴行行為があつたかについては、被告人Kと警察官K’’の公判供述は平行線を辿つているものの、右の如く警察官の抱いていた心証を前提とした相当に厳しい追及がなされたことが推認できる以上、その取調べにかなり問題があつたものと認められる。

(2) 被告人Xの取調べについて

被告人Xの公判供述、その他の関係証拠によれば、被告人Xは、宇和島バス車内で現金の供与を受けたこと及び右のバス車内に被告人Kが乗つていたことを警察官に対して否認して通したが、平成二年二月二八日、同人の取調べに当たつていた警察官が取調室を出た直後、前に被告人Xを取調べたことのある警察官L’’が取調室に入つて来て、被告人Xの着席している後に回り、けん銃様の物を同人の左のコメカミに突きつけて、「撃つてやろうか。」などと言い、カチッと引き金を引いたこと、そして同人の耳の辺りが熱くなつたこと、同人が「びつくりしたが。」と言うと、警察官L’’は「こがいなもんでなんでびつくりするんぞ。どこのおもちや屋にでも売りよるが。」と言つたこと、右けん銃様の物は実はライターであつたことが認められる。

もつとも、証人L’’の公判供述によれば、L’’は、「当日他の用務に従事していたが、取調室にXがいるのを見て、『ほんとのことを正直に話す気になつたかい。』などと言つて入室した。ライターは自己の所有物ではなく、他の警察官の席にあつた物を借用した。これを使用して煙草を吸い、またこれをXに見せて、『面白いライターがあろがな。』と言つて火をつけて見せたが、判示の如き所為には及んでいない。」というのであるが、取調べ担当官でもない警察官が、しかも他の用務に従事していたのに、自己の所有物でもないけん銃様のライターを持つて、被疑者のみがいる取調室へ入室し、右のライターを見せて、点火したり、これを使用して煙草を吸つたということ自体、不自然、不合理であること、証人M’の公判供述によれば、L’’の所為が警察部内でも問題となり、調査がされ、L’’は上司から厳重注意されたことが認められることなどに前記Xの公判供述を総合考慮すれば、L’’の右公判供述は採用できない。

そして、警察官L’’が、右のけん銃様のライターを被疑者の後からその頭部に突きつけ、「撃つてやろうか。」などと言い、引き金を引く行為は、警察官L’’の真意はいかにあれ、また警察官L’’が当時Xの取調べに直接に当たつていなかつたとしても、更にXは当時逮捕されていなかつたことを考慮しても、捜査官の被疑者に対する脅迫行為に当たり、かつ違法な所為であると解される。

したがつて、その後の取調べにより作成された供述調書は、右違法な所為を解消すべき措置がなされていない以上、脅迫又は違法な取調べに基づくものとして、その証拠能力を否定すべきであるが、被告人Xは、前記のとおり本件を否認して通し、自供調書は全く作成されていないため、右脅迫又は違法な取調べに基づくものとみなされる供述調書は存在しないので、特に同人の供述調書の証拠能力を否定して証拠から排除することにはしない。

(3) 被告人Z子の取調べについて

被告人Z子の公判供述によれば、被告人Z子を取調べた警察官は、同年二月二六日、同女が宇和島バス車内で現金五〇〇〇円を貰つたことを否認し、かつ被告人Kが右バスに乗つていなかつたとして、被疑事実を認めなかつたところ、手錠を取調室の被告人Z子に見せて、この手錠で本件選挙違反関係者を逮捕したなどと話し、事実を認めないのであれば、逮捕するとし、更に、「逮捕されれば、男性被疑者らと同房に入れる。トイレに入つても男性被疑者から見られる。女だから男にもてあそばれることもある。」などと申し向けた。そして、被告人Z子は、これまで警察の取調べを受けたことがなく、ましてや逮捕されたこともなかつたから、逮捕された男女が同房に入れられることはないことなどは知らなかつたこともあつて、逮捕された場合の対応について困惑し、畏怖し、かつ腎盂炎等により体調がすぐれず、取調べによる心労も加わつて、食事もできない状態であつたことなどもあり、結局逮捕を免れるために、それまでの供述態度を変え、宇和島バス車内で現金五〇〇〇円を貰つたこと、右バス車内に被告人Kが乗つていたことを認める供述をしたと言うのである。

しかし、証人N’’の公判供述等によれば、Z子を取調べた警察官N’’は、被告人Z子を取調べた際に、手錠は取調室に置いていなかつた旨、宇和島バスに乗つていた他の者の封筒に現金が入つていたのに、Z子の封筒にだけ現金が入つていなかつたのは理解できないなどと述べて多少理詰めと見られる取調べはしたが、同人に対して、「逮捕されれば、男性被疑者らと同房に入れる。」趣旨などZ子が言うようなことを申し向けたことはない旨供述する。

そこで検討すると、被告人Z子が、法廷で供述するところは、極めて具体的で迫真性があり、虚偽の事実を述べているとも見られないし、また被告人Z子は、警察官N’’に犯行を自白した後で、恐らく同じような程度の理詰めの取調べをされたものと推認されるのに、再び犯行を否認するに至つていることを考えると、被告人Z子が、警察官N’’らの取調べで犯行を認めるに至つた理由として、警察官N’’が述べる取調べ方法が取られたということのみでは納得し難いものが残る。

そして、逮捕された男女が同房に入れられることはないことを知らない女性に対して、事実を認めないのであれば逮捕するとし、かつ「逮捕されれば、男性被疑者らと同房に入れる。」趣旨を申し向ける警察官の行為は、被疑者に対する脅迫行為と認められる。

(4) 被告人Yの取調べについて

被告人Yの公判供述によれば、被告人Yは、松山市役所に勤務する公務員であるが、警察官から度々呼び出しを受けて、事情聴取、取調べをされても、宇和島バス車内で被告人Kを見たことはなく、封筒は貰つたが現金が入つているのは見ていない旨の供述を変えず、その任意の事情聴取、取調べは九回にも及んだが、同じ供述を維持し続けていたところ、平成二年三月九日に至つて逮捕、勾留され、接見禁止となつたうえ、取調べを受けたが、ある日、取調べに当たつていた警察官が席を外し、取調べに当たつていない警察官O’’が取調室に入室して来て、同被告人に対して、「松山市議会前議長のG’’及び松山市助役のH’’から、役所のことは心配ないとの趣旨の伝言があつた。」旨、すなわち、「被告人Yの公務員としての身分について不利にならないように考慮する趣旨の伝言があつた。」趣旨にとれることを言つたこと、その後取調べに当たつていた警察官が入室してきて、「話があつたろうが。」などと言つたこと、同被告人は、本件で起訴されると、懲戒免職処分もあるかも分からないとの心配をしていたことから、警察官O’’の右伝言により、この際、警察官の意向に従つた自白調書を作成して貰う方が良いのではないかとの迷いが生じ、宇和島バス車内に被告人Kが乗つており、同人らから現金五〇〇〇円入りの封筒を貰つた旨の自白をしたこと、そしてその翌日釈放されたが、その後、人を介してG’’松山市議会前議長及びH’’松山市助役に対して確認したところ、そのような伝言を頼んだことはないとのことであつたことが認められる。

もつとも、証人O’’の公判供述によれば、警察官O’’は、「G’’市会議員の親族に当たるところの同証人の知人のI’’から『おじやH’’助役が心配しているけん。言うてくれまいか。』などと依頼されて、Yの取調べ担当警察官に伝言の内容を説明し、その了承を受けたうえ、『G’’が困つている。』『職場のことや後のことは心配しなくてよい。あとは自分で考えなさい。』との旨をYに伝言したのであつて、G’’市会議員はI’’のおじであるが、G’’市会議員の名前をYに話した記憶はない。またH’’助役のことはI’’から聞いているが、H’’助役のことをYに伝言した記憶はない。G’’松山市議会前議長及びH’’松山市助役が真にYに伝言をして欲しい旨I’’に述べたか否かは知らない。」旨供述するが、証拠上、Yと面識がなく、同人と何の関係もないことが認められるI’’から、「G’’が困つている。」「職場のことや後のことは心配しなくてよい。」などとの伝言があるというのはいかにも不自然であること、警察官O’’において、I’’が松山市議会議員とおじ甥の関係にあるということを知つているということだけで、それ以外の事実を把握しないまま、当時公職選挙法違反の容疑で身柄を拘束されていて、松山市職員としての身分関係の将来について心配していたことが明らかなYに対して、前記の如き伝言をするのは不自然であること、その伝言内容も不自然、不合理であることから、証人O’’の公判供述中、前記認定に反する部分は直ちに採用できない。

なお、被告人Yの公務員としての身分に影響を及ぼす懲戒権者は、松山市長であり、松山市議会前議長及び松山市助役にはそのような法的権限はないけれども、松山市議会前議長及び松山市助役は、松山市長に働きかける等して、その懲戒権限に事実上の影響を及ぼす力があると被告人Yが考えたことは、特に不自然であるとは考えられない。

以上によれば、被告人Yの捜査官に対する供述調書には、警察官O’’の真意がいかにあれ、利益誘導によりなされたものと認められ、少なくともその信用性については疑問が残る。

なお、警察官O’’が、被告人Yに、「後は自分で考えよ。」と、その判断を同被告人に任す趣旨のことを言つて、その行動についての判断は被告人Yの自由意思に委ねたからといつて、検察官主張の如く、右結論が左右するとは考えられない。

(5) その他、強圧的な取調べないし押付けの取調べ、被告人の弱点を殊更に突いた取調べ等、不当な取調べ等がなされ、取調べが一方的であつて事実を如何に主張しても聞いて貰えなかつたなどと、多数の被告人らが公判供述等で述べている。

(三) (小括)

前記のとおりの取調べの経緯に照らせば、本件捜査においては、捜査官は、その信用性に問題のあるT’子供述から、被告人Kの宇和島バスへの乗車及び同被告人らによる現金の配付があつたと考えたうえ、これらの事実を、被告人らに押しつけた可能性を否定できない。

四  その他

1  弁護人提出の乗客名簿の信用性について

司法警察員作成の平成二年二月二六日付捜査報告書(検察官請求証拠番号一二)によれば、被告人らの弁護人が警察に提出した励ます会からの帰途の宇和島バスの乗客名簿中に、被告人Kの氏名が掲記されているのであるが、証人C’’の公判供述によれば、右宇和島バスの乗客名簿作成等の経緯は、当時本件捜査により和気地区関係者がパニック状態に陥り、捜査を受ける重圧に耐えかねての犠牲者も出しかねない状態になつたことから、既に警察の捜査の対象になつていたりして、宇和島バスに乗つていた者と思われていた者達を、甲野太郎後援会役員のJ’’らにおいて、説得して犯行を認めさせることとし、かつ右の者らを書き出した乗客名簿を作成し、弁護人を通して警察に提出して、警察の捜査をこれらの者だけに限定して貰い、よつて警察の捜査を終結させるよう働き掛けようとしたものであつたことが認められること、なお、関係証拠によれば、右乗客名簿提出の際に、弁護人において、被告人Kは宇和島バスに乗つていない旨警察官に告げていること、被告人K以外で励ます会からの帰途の宇和島バスに乗つていなかつたことが明らかな者が右乗客名簿に掲記されていることが認められることから、右乗客名簿の記載により被告人Kが帰途の宇和島バスに乗つていたとの結論を導くことはできない。

2  被告人らの捜査官に対する供述に信用性があるとの反論について

それにしても、四二名もの者が同一事実を捜査官に対して自白していることが、何よりも真実を語つているとの反論も考えられるが、判示罪となるべき事実記載の宇和島バスを下車した後での選挙に関する現金供与、受供与の点については関係被告人の誰一人として争う者はいないこと、しかるに宇和島バス車内での現金授受の点については関係被告人全員が法廷で犯行を否認していること、しかし、この二つの事件に共に関与している同一被告人が、このように事件により異なる態度を採ることの合理的な事情は、宇和島バス車内で現金授受があつたとすることに問題があるとする以外に見当たらないこと、なお、被告人らが宇和島バス車内で現金が渡された状況として述べるところは、T’子供述を前提として、ほぼ同一のことを述べていることから見て、警察官の被告人らに対する誘導、押し付けがあつたと推認する余地も十分にあること、更に、警察官において、宇和島バス車内で現金が配られたのは疑いのない事実として、前記のとおり、否認する者については執拗に呼び出しを掛け、逮捕する等していること、捜査官は、前記被告人Lのみならず、他の被告人らについても、取調べを繰り返しても、否認を続ける限り、殆ど調書を作成していないことなどから、自白を得ることに力を注ぎ、異なる見地から事件の全貌を検討しようとした形跡は認められないと考えられること等の捜査の実情に加えて、本件は、選挙に関して三名の者から四一名の者に対して、一人当たり五〇〇〇円の現金を供与したというものであつて、有罪の場合にも、特に前科のない供与者側も執行猶予付の判決がなされることは多分間違いなく、受供与者は比較的低額の罰金刑で終わるのは間違いないと予想され、しかも、この種の事案で問題となる公民権停止についても、当時近々恩赦があることが取り沙汰されていたことの諸点を総合すれば、被告人らにおいて、強引な取調べから逃げることを考えて、その意に反して、警察官の意に沿つた供述調書の作成に応じたのもやむを得なかつたものと考えられるから、被告人らの殆どが捜査官に自白しているからといつて、右自白の信用性が否定されないという結論にはならない。しかも、このような事情があるのに、逮捕、勾留されても否認して通している者がなお二名いることは無視し難いものである。

なお、検察官は、北浜地区の被告人に、宇和島バスの中での現金受領を否認し、バスを下車してからの現金受領を認めるという弁護人主張の如き事実の供述をしているものが誰もいないのは不可解であると主張するけれども、警察の取調べが、まず宇和島バス内の現金供与に向けられていたのは関係証拠上明らかであり、しかも前記のとおり、右取調べは、被告人らにとつては、厳しく、問題があると見られる取調べであつたことから、宇和島バスを下車しての現金受領を認め、かつ同バスの中での現金受領を否認する供述調書が出来ていないからと言つて、特に不自然な面があるとは認められない。

3  被告人らに証拠湮滅行為であつたとすることについて

なお、関係者による証拠湮滅行為があつたために、被告人らが真実に反して虚偽の供述をしているとの検察官の主張について触れると、本件犯行がなかつた場合、警察官の厳しい取調べに当惑した被告人らが集まつて、取調べの経過について話し合うのは当然であると考えられる。

右に関して、検察官は、二月二〇日の段階で、被告人K方で、同被告人が被告人Bに対して、宇和島バスに被告人Kが乗つていたことの口止めの申し入れをし、これを受けて被告人Bは、口止めに回つた旨主張し、なお、同日夜、関係者が、P方で、「被告人Kには関わらぬ方がいい。バス内では金を貰わんかつたらええ。」などと謀議し、結束が固められ、さらに右謀議は続けられた旨主張するが、二月二〇日当日の段階で、既に被告人Bの妻の被告人D子らが、被告人Kが宇和島バスに乗つていた旨自供し、翌二一日、その翌日の二二日には、被告人A、同K、同G、同H子、同V子、同N子らが自供し、各員面が作成されているのであつて、検察官の主張するような口止めや結束があつたとしても、右の程度の弱いものであつたと認められる。

また、被告人Aは、員面で、P方における被告人Kの言動から、同被告人に対して、「自分だけ逃げるつもりか。」「こいつ汚い奴じや。」と思つたとか、「午後六時三〇分に松山へ帰れたらバスに十分乗れると言つてやつた。」旨供述しているところ、検察官は、これは、本件犯行があつたことを前提として初めて理解できるものであるなどと主張するのであるが、被告人Kが午後六時三〇分に松山へ帰つた場合に宇和島バスに乗れないのは前記検討のとおりであり、このような供述調書が作成されることこそ不自然であり、被告人Aが被告人Kを罵倒し、侮蔑することを員面で言つているのも、本件犯行及びその罪証湮滅行為の存在を確実なものと前提したうえでの捜査官の誘導等によるものではないかとの疑いも残るのであつて、被告人Aの員面中に前記の如き記載があることから、これが直ちに本件犯行及び罪証湮滅行為があつたことの証拠になるとまでは認め難い。

そして、甲野太郎後援会の者らが、事実に反して被告人Kが宇和島バスに乗つていなかつたことにしようとしたというのを、殆ど全被告人が捜査段階で供述しているが、右供述が真実であることの合理的な事由は見当たらないのみならず、前記のとおり、被告人Kは宇和島バスに乗つていたとする証拠は不自然、不合理なものが多くて採用できず、他に被告人Kが宇和島バスに乗つていたという証拠はないこと、また、宇和島バス内で現金供与がされたことについても、関係者の供述には不自然なものがあり、捜査官による誘導、押し付けがあつたと推認される余地があること、被告人らの大部分は捜査段階で、被告人Kらからの現金の供与がされたという供述しかしていないところ、被告人Kが宇和島バスに乗つていたという確たる証拠がないことから、結局右現金供与の点の証拠も不自然、不合理なものとなつて採用できないことなどから、本件について、関係者による証拠湮滅行為があつたとまでは認め難く、検察官の右主張は採用できない。

五  (まとめ)

以上の次第で、宇和島バス車内において、被告人A、同K、同Lによる選挙に関しての現金の供与があり、その他の被告人らについては被告人A、同K、同Lから選挙に関しての現金の受供与があつたとすることを認めた被告人らの捜査官に対する各供述調書は、その核心的な部分において信用することができず、その他に、宇和島バス車内において、選挙に関しての現金の供与、受供与があつたとの公訴事実を認めるに足る証拠はないから、本件犯罪については、結局合理的な疑いがないまでの証明がないことに帰する。

よつて、刑事訴訟法三三六条により、本件公訴事実中、宇和島バス車内において、選挙に関しての現金の供与(一面立候補届出前の選挙運動をしたとの点を含む。)、受供与があつたとの点については、被告人全員に対して無罪の言渡しをする。

(結び)

よつて主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 金子 與 裁判官 高橋 正 裁判官 浦島高広)

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